<上村愛子 イジメを克服したのは自分を信じてたから / モーグルとの出会い>
今回は上村愛子選手が子供の頃に受けたイジメをどうやって克服
したかと、モーグルとの出会いにスポットを当ててみました。
上村さん情報をお届けします。
どうぞ、ごゆるりとお楽しみくださいませ。
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【中学ではイジメにあった?】
愛子さんは1979年12月9日に兵庫県伊丹市鴻池に生まれます。
先天性心室中隔欠損症だったことがわかったりして、ご両親は愛子
さんの健康のことも考え、長野県に移り住みペンションを始めます。
最初は長野県小県郡長和町エコーバレースキー場付近に転所したの
は愛子さんが2歳の時。
3歳になってから愛子さんはスキーを始めたのですが、やがてご両
親は別のペンションの経営もすることになって一家は長野県北安曇
郡白馬村に引っ越したのでした。
愛子さんは白馬村立白馬北小学校、白馬村立白馬中学校に入学し
中学ではスキー部の所属したのですが、ここで「いじめ」にあって
しまうのでした。
愛子さんの自伝によると、
グローブがなくなったと思ったら雪詰にされて洗濯機で回されてい
たり、スキーを盗まれて信じられないような状態で捨ててあったり
…。
まだまだエスカレートするイジメ。
今ではいじめに合っている子どもたちの気持ちが良くわかると愛子
さんは言っています。
たとえ自分が何も悪いことをしていなくたっていじめられてしまう
ことだってある。
自分を責めた日もあった。
でも、最後は何も悪いことをしていない自分に自信をもって乗り切
ることができた、そう愛子さんは振り返ります。
「悲しくて、つらくて仕方ないことだらけでも、強くなってがんば
っていれば絶対に誰かが見守ってくれているはず。」
そんな愛さんを見て、お母さんは言うのでした。
「愛ちゃんが、人に嫌がらせをされるようなことをしてないという
自信があるのなら、そんなことに負けずに、もっと強くなりなさい。」
「用具だけでなく、愛ちゃん自身に危害を加えられるようなことが
あれば、お母さんに絶対に言いなさいよ。そしたらお母さんが愛ち
ゃんを守ってあげる。」
なんて素敵なお母さんでしょうか。
(と、ウルウルしてしまう私。)
それでも愛さんがスキーを辞めなかったのは、やっぱりスキーが好
きだったからです。
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【モーグルとの出会い】
白馬中学校の2年生の時(1994年)に、カナダのウィスラーへ旅行し
た愛子さんは、現地でモーグルの大会(モーグルスキーブラッコム
大会)を観戦します。
この時に滑走していたロシアのセルゲイ・シュプレツォフ選手の滑
りにえらく感動したそうです。
セルゲイ選手はこの年に開催されたリレハンメル五輪で銀メダルを
獲得しますが、その後は不慮の事故で…。
そしてこの大会には後の長野五輪モーグル女子の金メダリストの
里谷多英さんも滑走していたようです。
とにかく、この大会をみて愛子さんは「モーグルをやる」と決めたのでした。
それから、長野県立白馬高校に進学しスキー部に所属します。
2度目となる全日本選手権に参戦し3位入賞して、
全日本スキー連盟(SAJ)ナショナルチームメンバーに選抜され、
スター選手への第一歩を踏み出すのでした。
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どうですか?
イジメのくだりは、スペースの都合上あまり詳しくは説明できなか
ったんですが、「自分を最後まで信じていた」というのは、心に響
く言葉だったんじゃないでしょうかね。
どんなときにも自分を信じてあげることは大切だと思います。
自分で自身を語るときに「謙遜」は不要です。
「できない自分」「ダメな自分」「さえない自分」も確かにあるかも
しれないけど、そんなありのままの自分を認めて受け入れてあげる
ことが第一歩なのかもしれませんね。
愛子さんは「競技」だけでなく「人生」そのもので何かを教えてく
れているような気がしました。
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最後までお読みくださいましてありがとうございます。
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